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転職しないこともまた選択である。サルトルの「自由」からキャリアを問い直す

更新: 著者: metta

サルトルは「人間は自由の刑に処されている」と説きました。転職しないことも、判断を先延ばしにすることも、結果として現在の職場に留まる選択です。ただし、会社の違法行為やハラスメントまで本人の責任にする考えではありません。外部の問題を正確に認識したうえで、自分が次に取れる行動へ思考を進めることが重要です。現職に残るなら理由と期限を言葉にし、転職するなら次に実現したい条件を決めます。「会社が悪い」で止まらず、「だから自分はどうするか」まで決めることが、キャリアの主導権を取り戻す第一歩です。

転職のご相談を受けていると、ある共通のパターンが繰り返されることに気づきます。

「上司が理不尽だ」「正当に評価されない」「この会社に未来を感じられない」——それぞれ客観的で正確な観察であるにもかかわらず、次の一言がなかなか出てきません。「だから転職します」でもなく、「だから会社に改善を求めます」でもなく、「だからつらい」という不満の段階で止まってしまっているのです。

ここには、決定的な何かが抜け落ちている状態だと言えます。

それが何かというと、まさに「選択」です。より正確に言えば、「自分自身が選択の主体(意思決定者)である」という認識が抜け落ちてしまっているのです。


実存主義とは何か?

ジャン=ポール・サルトル(Jean-Paul Sartre, 1905〜1980)は、20世紀フランスの哲学者で、実存主義という思想を体系化した人物です。

実存主義の出発点は、「存在は本質に先立つ」という命題です。1945年の講演を基にした著作『実存主義とは何か』(L’existentialisme est un humanisme)の冒頭で、サルトルはこの考え方を明確に示しています。

例えば、椅子をイメージすると分かりやすいでしょう。椅子は、実際に作られる前から「人が座るためのもの」という目的が決まっています。設計者が椅子の本質(用途)をあらかじめ決め、それを具現化するために作られます。つまり、この場合は「本質が存在に先立っている」と言えます。

しかし、人間はそれとは異なるとサルトルは主張します。神が存在しないのであれば(サルトルは徹底した無神論者でした)、人間を設計した存在はどこにもいません。人間は生まれた瞬間には、いかなる意味も目的も与えられていないのです。まず世界にぽつんと存在し、その後で自分自身の意味を自ら作り出していくしかありません。

これが、「存在は本質に先立つ」という言葉の意味です。

人間にはあらかじめ決められた本質がありません。だからこそ、自分がどのような人間になるかは、自分自身の選択と行動の積み重ねによってのみ決まっていきます。これこそが、サルトルの実存主義の核心です。


「自由の刑」とは何を意味する?

この考え方をどこまでも突き詰めていくと、ある重い結論に行き着きます。

「人間は自由の刑に処されている」(L’homme est condamné à être libre)

これは『実存主義とは何か』の第一部でサルトルが記した有名な言葉です。「刑に処されている」という表現は非常に鋭く、自由とは手放しの祝福などではなく、私たちが決して逃れることのできない「絶対的な条件」なのだということを突きつけています。

なぜ「刑」なのでしょうか。

私たちは自分自身で望んでこの世界に生まれてきたわけではありません。にもかかわらず、ひとたび生まれてしまった以上、選択をしないことは許されないからです。「何もしない」という受け身の姿勢さえも、実は一つの選択肢を選び取っていることに他なりません。目を閉じて沈黙していても、朝は訪れ、仕事は溜まり、職場でのあなたの立場は否応なしに変化していきます。

選ぶことを拒否することによって、あなたは「選ばない」という選択をしていることになります。

これは単なる抽象的な哲学の議論ではありません。転職をするべきか悩んでいるすべての人に、直接重なるテーマです。転職しないという選択も、現状維持のまま様子を見るという選択も、すべてはあなた自身の選択です。そして、どちらの道を選んだとしても、その結果に対する責任は自分自身に伴うことになります。


「会社が悪い」の先で何を考える?

再び、転職相談の現場に話を戻しましょう。

「会社が悪い」というのは、多くの場合において正しい観察です。評価制度に明らかな欠陥があったり、ハラスメントが横行していたり、給与テーブルが業界水準より極端に低かったりする現実は確かに存在します。その冷静な観察そのものを否定するつもりは毛頭ありません。

問題となるのは、「会社が悪い」という言葉が思考の最終地点になってしまっているときです。

会社に問題があるのなら、転職に向けて動き出すのでしょうか。動くとしたらそれはいつで、どのような環境を目指すのでしょうか。もし転職しないのであれば、社内で何を変えようと試みるのでしょうか。あるいは、「今はあえて動かない」と主体的に決めているのでしょうか。

こうした「その先の意志」がないまま、ただ不満だけを抱き続ける状態になってはいないでしょうか。転職を視野に入れつつも、気づけば3年、5年という歳月が流れていってしまいます。

サルトルはこのような状態を「自己欺瞞(mauvaise foi/バッド・フェイス)」と呼びました。自分が本当は自由であることを直視せず、まるで自分には選択の余地が一切残されていないかのように振る舞うことです。「会社にそう強いられている」「上司がそうさせている」「業界全体の慣習だから仕方がない」と責任を転嫁することは、すべて自己欺瞞の一形態であるとサルトルは指摘しています(『存在と無』L’Être et le Néant 第一部第二章)。

これは本人が故意に嘘をついているわけではありません。本人も心からそう信じ込んでいます。しかし、選択に伴う重圧から逃れるために、自分の外側に原因を配置し続けているという心理的構造は変わりません。


選ばないことにも責任はある?

ここで、一つ明確にしておきたいことがあります。

「転職しない」という意思決定は、決して悪いことではありません。

親の介護が必要である、子どもが大切な受験期を迎えている、住宅ローンを抱えている、あるいは専門スキルを身につけている最中で今は粘るべきタイミングである——このような理由に基づいて「今の職場に留まる」ことを選ぶのは、非常に立派で能動的な選択です。

ここで焦点を当てているのは選択肢の中身(転職するかしないか)ではなく、「自分がその選択の結果を引き受けているかどうか」です。

「本当はもっと良い環境に移りたいが、今はあえて動かない。なぜなら子どもの進学が終わるまでは生活の安定を最優先すると自分で決めているからだ」と考えるのと、「転職したいけれど怖くて動けない。今の会社が悪いから自分は身動きが取れないのだ」と言い訳をするのとでは、その精神的な状態は全く異なります。

前者は自ら主体的に「選択」しています。一方で後者は、選択することから「逃避」してしまっています。

どちらの心の持ちようであっても、「毎日その会社に通っている」という物理的な事実は変わりません。しかし、前者は自分のキャリアの舵を自分で握っているのに対し、後者はただ状況に流されているだけになります。

流されることで無意識のうちに自分自身を守っているとも言えます。自分で選択したという責任を取らずに済むからです。「なんとなく現状維持」でいれば、将来的に状況が悪化したとしても、「自分のせいではない(会社のせいだ)」と言い訳をすることができます。

しかし、サルトルはそうした妥協を認めません。選択から逃げようとすること自体が、すでに「逃げるという選択」を行っているからです。どのような経過をたどろうとも、最終的な結果はすべてあなた自身が引き受けなければなりません。


47年間で何を見てきた?

少し、私個人の経験をお話しさせてください。

これまで47年生きてきて、「会社が悪い」「社会の構造が悪い」という愚痴を何年も繰り返しながら過ごしている人を、数多く目にしてきました。

率初に申し上げて、そのような不満を語り続ける人々の中で、明らかに自己成長を遂げていた人はほとんどいませんでした。

これは「会社に問題がある」という彼らの観察が間違っている、という意味ではありません。実際に劣悪な会社は存在します。しかし、不満の矛先を常に外側に向け続けることで、思考や行動のパターンが硬直化してしまいます。「自分は理不尽な環境の被害者であり、だから自分が変わる必要はない(何もできなくて当然だ)」という構造が、心の中で徐々に強化されていくのです。

一方で、着実に成長している人は、たとえ現状に強い不満を抱いていたとしても、視線の向きが決定的に異なります。

彼らは「この状況で自分は何をするか」という問いを、無意識のうちにでも常に自分に投げかけています。どれほど会社が理不尽であっても、「では、自分は次にどう動くか」という主体の問いが必ず続きます。結果として転職を選ぶこともあれば、現職に留まり社内で異動や交渉を試みることもあります。いずれにせよ、「自分はどうするか」という主体的な問いが行動の軸になっています。

これは単なる根性論や自己責任論の押し付けではありません。単に「外側を向いて不満を言い続けるか」それとも「内側(自分の行動)に向き合うか」という、視線のベクトルの違いなのです。

視線が外側を向き続けている限り、自分が変化する必要性は生じません。そして、「自分が変わる必要はない」と判断した人は、当然ながら変化することもありません。

私が過去に見てきた「会社が悪い」と言い続けていた人たちは、10年が経過してもほぼ全く同じ不満を口にしていました。その間に会社の体制や上司が変わったとしても、彼らの不満の構造そのものは変わりませんでした。ここに至ると、それはもはや会社側の問題だけではないと言わざるを得ません。


デフォルト選択の何が落とし穴?

「デフォルト選択」という状態があります。これは、意識的に何かを選択している自覚はないものの、結果として「現状がそのまま継続されること」を選び取ってしまっている状態を指します。

キャリアや転職に当てはめるなら、「今はまだ転職しない」と明確に意思決定したわけではなく、「なんとなく毎日を過ごして現職に留まっている」というのがデフォルト選択の典型例です。

デフォルト選択も一つの意思決定ですが、本人に「選択した自覚」が伴わないため、非常に厄介です。自覚がないために、その選択の良し悪しを振り返る機会も得られにくくなります。「気づけばあっという間に5年が経っていた」という状況は、ほとんどがこのデフォルト選択を重ねてきた結果です。

これはサルトルの言う自己欺瞞とまさに重なります。「自分は何も選んでいない、ただ周囲の流れに身を任せているだけだ」という言い訳は、自分が本来持っているはずの選択の自由(とそれに伴う責任)から目を背けている状態に他なりません。

デフォルト選択の状態から抜け出し、意識的な選択へと切り替えるためには、一度立ち止まって「自分はなぜ、他でもない今の職場を選んで働き続けているのか」を明確に言語化する必要があります。それは「会社がそこそこ安定しているから」「転職活動が億劫だから」といった外発的な言い訳ではなく、自分の内なる目的や価値基準に照らし合わせた判断として語られなければなりません。


主体的にキャリアを作るには?

では、具体的にどのようにキャリアを構築していけば良いのでしょうか。まずは、現在の状況を「自分自身で選択したこと」として言葉にしてみることです。

「私は今、●●という理由でこの職場にいる」

この「理由」の部分が、外側の要因(他に行く場所がないから、変化が怖いから)ではなく、自身の内面的な納得(自分の意志やキャリアプラン)に基づいているかを確認してください。

例えば、「子どもが独立する3年後までは家庭の安定を優先し、その間に今の職場で特定のスキルを磨ききる」という理由は、極めて主体的な内発的動機に基づいています。これは立派な「選択」です。

一方で、「特にこれといった理由はないが、まあそのうちタイミングが来たら考えよう」というのはデフォルト選択であり、単にキャリアを「漂流」させている状態です。

次に、現在の選択をいつまで維持するのか、「期限」を設けることをお勧めします。「来年の3月までは今の職場で全力を尽くし、その時点で改めて転職するかどうかを判断する」といった具体的な区切りを設けてみてください。終わりのない無期限の現状維持は、意思決定ではなくただの漂流に陥ってしまいます。

そして、その選択を定期的に問い直すことも欠かせません。業界の動向や市場価値といった「外部の環境変化」と、自分自身のキャリア志向や家族の状況といった「内部の環境変化」は、いずれも常に動き続けています。今のあなたの選択が半年後も最適であるかどうかは、その時が来たら改めて検証するほかないのです。

この自問自答をサイクルとして繰り返すことによって、キャリアは他人から与えられる受動的なものではなく、自分自身の意志で切り拓いていく能動的なものへと昇華されます。


転職する選択をどう捉える?

ここまでお読みいただき、「この記事は転職を踏みとどまるように説得しているのか」と感じられた方もいるかもしれません。

当然ながら、転職という決断が極めて正しい判断となる状況は数多く存在します。

ハラスメントが常態化している、労働基準法を逸脱した過酷な労働環境である、すでに精神的・肉体的に限界を迎えている、あるいは自分の目指すキャリアパスが現在の会社では構造上絶対に実現できない——このようなケースであれば、迷わずその場を離れるべきであり、私たちはそのアクションを強く後押しします。

ただ、一口に転職と言っても、「今の会社が嫌だからとにかく逃げ出したい」という受動的な逃避と、「自分は将来このような仕事を実現したいから、次のステップへ進む」という能動的な選択とでは、その後のキャリアの質が決定的に異なります。

受動的な理由だけで転職した人が、新しい職場でも全く同じ不満を抱え、再び短期離職を繰り返してしまうケースを何度も見てきました。どれほど会社や環境が変わっても、自分自身の「会社が悪い(だから自分は何もしない)」という他罰的な視線の向きが変わらない限り、場所を変えても再び同じ構造が再現されてしまいます。

転職を決断するにしても、あえて現職に留まるにしても、まずは「自分自身の意志でこの道を選び取っている」という主体的な自覚を持つことがすべてのスタート地点になります。

サルトルが指摘したように、私たちは選択することを拒否することはできません。私たちにできる唯一のことは、どの選択肢を選び、その結果をどのように責任を持って引き受けるかを、自分自身の意志で決めることだけなのです。


選択と転職についてよくある質問は?

Q. 実存主義で言う「選択の責任」とは何ですか?

A. 自分自身のすべての行動が、意識的であれ無意識であれ、自分自身の選択によるものであるということです。転職しないまま不満を持ち続けることも、結果としてその生き方を自ら選んでいる状態だと言えます。「選ばなかった」という事実は存在せず、実際には「選ばないという選択」を行っています。どれほど不条理な外的要因があったとしても、その状況に留まるという選択を自分自身が行っている事実は変わりません。

Q. 転職しないという選択は、現状維持ではありませんか?

A. 一見すると現状維持に見えても、私たちは毎日その職場に行くことを選んでいます。重要なのは「転職するかどうか」そのものではなく、「自分の選択をどれだけ主体的に引き受けているか」です。不満を外に向け続けながら受け身で留まるのと、不満や課題を認識した上で「今はここに留まる」と自分で決断するのとでは、心の状態は全く異なります。後者には、自分のキャリアを自分でコントロールしているという確かな実感が生まれます。

Q. 「会社が悪い」という考え方の何がいけないのですか?

A. 会社の問題点を指摘すること自体は正しい観察です。避けるべきなのは、そこで思考をストップさせてしまうことです。「会社に問題がある、だから自分はこうする」という次のステップに進まないと、行動の主体が自分ではなく会社になってしまいます。何かのせいにし続けることは、自分が行動を起こさないための理由を外側に作り続けることにつながり、何年も経つと「会社が変わってくれれば自分も変われるのに」という他力本願な状態が固定化してしまいます。

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metta

metta

転職支援・キャリア相談の実務経験を持つ編集者。哲学・東洋思想を実生活に活かす観点から記事を執筆。

本記事は哲学・思想の視点から考え方を整理することを目的としており、個別の転職判断に関する専門的アドバイスの代替にはなりません。 具体的なキャリアの意思決定にあたっては、国家資格キャリアコンサルタント等の専門家への相談もあわせてご検討ください。

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